ともいきエッセー

一覧へ

ともいきエッセー vol.47

「救われる? 何から?」

 いろいろな宗派からの出版物や、宗教書を読んでいて、不思議に思ってしまうことがある。それは「救い」という言葉。「信じれば救われる」ではないが、多くの宗教書で信仰を持てば「救われる」というようなことが書かれている。
 ここ近年、小生、ここにひっかかってしまう。いまの時代の人々は、「救われる」と言われて、いったい何から「救われる」と思うだろうか、と。宗教が説く救いは「苦」からの救いである。浄土教では来世往生につながる。
 しかし、いまの人々にとって「苦」とは何だろう。即物的な現代人にとっては、欲しいものが手に入らないことが「苦」のすべてで、あとは人生楽しく過ごしていければよい、と思っているように見えてしまう。たしかに、求めても得られないことも四苦八苦のなかのひとつではあるが、「苦」はそれだけではない。仏教的に考えれば、生きることのすべてが「苦」である。それはいまの時代でもかわらないと思う。真剣に今の自分や世の中を考えれば、「苦」と感じるものはいくらでもある。いまの人は、そう感じること、考えることから逃げているように見えてならない。
その「苦」が解ってこそ、「救い」ということが理解できるのだろうが、信仰心が薄く、この世は楽しい、生きることは楽しくなければならない、といった風潮の現代人において、法話や書籍で「救われる」と言ったって、何のことだか理解できないだろう。こう考えてしまうことも、小生の「苦」である。
 宗教者は、もっと「苦」を説かねばと思うこのごろである。(J)

このページのトップへ