ともいきエッセー

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vol.53 「死ぬってどういうこと」

 昨年の秋、ガンになって手術する友人の話を書いた。手術は無事に終わり快復に向かっている。その彼から「一杯やろう」と連絡がきた。もうお酒を飲んでいるらしい。

 彼は杯を重ねながら、手術の前夜、病室のベッドでひとり、眠れないままにいろいろなことを考え、想像したことをポツポツと話し出した。「医者は、まだ初期だから、手術も簡単で、すぐ快復すると言ってたけど、もし、手術に失敗したらとか、腹を開いてみたら手遅れだったとかってことをどうしようもなく想像してしまうんだ。そして、死ぬってどういうことかってことを、病室の天井を見ながら考えてしまう。イヤだぞ、これは」。彼は、思い出すように続けた。残される家族への想い、自分の死を友人たちは何と言うだろうか、どんな葬儀をするのかなどなど、自分が死んだときのことをいろいろ考えたと言う。

 「でもな、俺が一番考えたことは、死んだ後のこと。死んだらおしまいなんて気軽に言ってたけど、それは違う。来世はあってほしいって本当に思った。お前が、南無阿弥陀仏って念仏をとなえれば、必ず極楽に往けるって言っただろ、俺、病室の他の人に聞こえないように小さな声でとなえたよ。そして仏さんにお願いした。極楽に往かせてください、って。そして、極楽から家族を守らせてください、って。俺、自分の死を考えてホント人生観変わったよ。お前、俺が死んだら頼むぜ、ちゃんと極楽へ送ってくれよ」と。

 今日、信仰心の希薄化が言われ、来世のことも語られなくなっている。しかし、人間、死を前にしたら来世を願わずにいられないことを、彼の話を聞きながら自信をもって感じた。我ら浄土教を信奉する宗教者は、極楽浄土の存在、そして極楽への往生をもっと自信をもって説かねばならないと実感した。

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