ともいきエッセー

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vol.54 「解らないまま納得?」

 先の日曜日、親類の法事にでかけた。法要が終わり、会食の席になって、参列していたお年寄りが、「ありがたいお経をありがとうございました」と、同席した住職に挨拶した。それを聞きながら、ふと想った。親類の家は浄土宗ではなく他宗なので、住職の読むお経の意味は小生にもほとんど解らなかった。しかし、人々の間には、「お経はありがたいもの」という意識が沁みこみ、意味など解らなくてもそれでいいという思いが通用しているように思えた。そして、自分でも同じことをしているのに、「これでいいのか」と少々考え込んでしまった。

 今日の日本で、信仰心が希薄化してきた原因はさまざまあるが、これも原因のひとつではないか、と思った。教典を人々が理解できるように説かないから、その教えが伝わらず、信仰心の希薄化にもなっているのではないか、と。

 教典を訓読で読む僧侶はまだまだ少ない。「訓読で読むと、ありがたさがなくなる」と言う僧侶もいる。しかし、解らないことを解らないまま「ありがたい」と納得通用させているこの世界もすごい。たしかにお釈迦さまの教えなのだから「ありがたい」ものだ。長い歴史とそれまでの偉い僧侶たちの法話がそうさせているのだろうが、これがいつまで通用するだろうか。これからの日本人は、解らないことを解らないまま納得してくれるとは、とても思えない。(J)

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