ともいきエッセー

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ともいきエッセー vol.12

「昔の人には時間があった」

 以前、いまは故人となられた浄土門主・総本山知恩院門跡の坪井俊映大僧正にお会いする機会があった。そのとき「法然上人の生きられた時代の人々は、上人の仰っることが理解できたのでしょうか」とお訊きしたことがある。ご法語や問答などを読んでいても、仏教語などがあって学ぶこともなかった民衆にはかなり難しいと思っていたからだ。そのとき大僧正はただ一言「昔の人には時間があったのです」と。一瞬、なんのことかと思ったが、時間があったとは、考える時間があったということだと思った。電気も無く、日が暮れれば床に入るしかない人々には、寝付くまでにたっぷりと時間があったのだ。きょう一日なにをしたか、誰と会い、どんな話しをしたか、そして、自分はどう生きたらいいのだろうか、と自分と対面し省み考える時間がたっぷりとあったのだ。
 それにひきかえ、いまの時代はどうだろう。同じ24時間でも日が暮れてからが本番だというごとく、夜も煌々と明かりがつき人を誘い、テレビも一晩中さまざまな番組を写している。おまけに最近ではパソコンや携帯でゲームをしたり、家外の人と――どんなことかはしらないが――連絡を取り合う。寝る間をけずって起きている。そして、仕事で疲れ、アフター5で疲れ、倒れるようにベッドにもぐりこむ。これでは自分と対面し省みる時間はトイレとお風呂くらいしかないだろう。いや、トイレやお風呂の中でもゲームをしている人がいるというから、自分と対面する時間はまったく無くなってしまう。
こんなことでいいのだろうか。
秋の夜長、時には独りになって、来し方行く末を考えてみるのも大切なことだと思うが・・・。(J)

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