ともいきエッセー

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ともいきエッセー vol.17

「暴力は悪」

 "やられたら、やりかえす"。これが普通の人間の思うことだ。そうしないと弱虫と思われてしまうからだ。この思いが争いや戦争を引き起こす。しかし、やりかえすことが本当に勇気ある行為だろうか。 1141年、法然上人の父・漆時国公が夜襲にあって亡くなるが、このとき父時国公は9歳の勢至丸(法然上人の幼名)に「おまえは仇討ちしないことを恥だと思って、敵を恨んではならない。これは前世における行いの報いなのだ。もし、おまえが恨み心をもったならば、その恨みは何世代にわたっても尽きがたいであろう。・・・」と遺言して出家を勧めた。上人はこの遺言を守って出家し、そして浄土宗を開くことになるのだが、はたして上人は父を殺されたときどう思われていたのだろうか。「仇討ちしないことが恥」と思われていた時代である。9歳の子供でも、ましてや武家の長男として、仇討ちすることを当然のことと思ったのではないだろうか。しかし、上人は父の遺言に従った。その心の内にはそうとうな葛藤煩悶があったのではないか。そんなことを勝手に思ってしまう。上人は後日、「父の遺言忘れがたく」と何度も言っている。 ここですごいのが、時国公の遺言の「これは前世における行いの報いなのだ。もし、おまえが恨み心をもったならば、その恨みは何世代にわたっても尽きがたいであろう」という言葉だ。相手にもそれなりの理由があるということを認め、さらに報復をすればまたそれへの報復がある、と報復の連鎖を止めようとしている。連鎖を止められるのは被害者が報復しないことだ。許すのではなく、暴力に訴える原因を探り、それを解決することではないか。時国公は、お釈迦さまの教え(前回掲出)を幼い法然上人に諭し、それを上人が実行した。これこそ、心の葛藤煩悶を乗り越えた勇気ある行動ではないだろうか。いま、世界は危機に瀕している。だれもが平和を願いながら、それが実現しない理由を自分のこととしてもっと真剣に考えたい。そして、思いを暴力に訴えることは「悪」であることを世界の指導者や政治家は自覚すべきである。(J)

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