ともいきエッセー

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ともいきエッセー vol.22

「もっと、死を考えよう」

先日、友人の母が亡くなった。「いやぁ、おふくろには、本当にいい勉強をさせてもらった」。火葬場で焼骨を待っているとき、小生の脇に来た彼が、さまざまなことから解放されたというか、腹の底から湧き上がったというか、どこか爽やかささえ感じさせるように言った。
 彼の母は、認知症を患って5年、最期の1年半は寝たきりとなった。定年退職を機に再就職を断り、妻とともに介護に専念した。認知症の始めは、まだ会話がなりたったが、症状が進むにつれて記憶がみだれ、現状の理解ができなくなり、それとともに感情の起伏が大きくなった、と言う。そして徘徊。徘徊する母を昼夜妻と交代しながら見守った。夜は、母の手と自分の手を紐で結び、自分が寝入ったときの用心をした。そして寝たきりとなった。寝たきりとなった母と、なりたたない会話をしながら、彼は「人間とは何だろう」と思ったと言う。「人間が壊れていく」ように見えた、と。そして、介護殺人などの事件の報道を見るたびに、その加害者の気持ちが痛いほどわかる、と。
 幸い、彼には妻と娘たちがいた。妻は、彼以上に義母の介護に尽くしたと言う。介護する妻を見ながら、いろいろと複雑な思いがあるのだろうが、献身的に介護する妻に頭が下がり、それまで以上に妻が愛おしくなった、と。一方、娘たちは、認知症が始まった当時は、そうした祖母を認めたくないためか本気になって怒り、また罵声をあびせたり無視していたが、やがて症状を受け入れたのか、祖母にたいする優しさが生まれ、疲れた母や自分をいたわったり、祖母の介護を手伝うようになったと言う。
「母の変わりゆく姿は、人間というものを考えるうえで、自分たち夫婦だけではなく、娘たちにも何ものにも代えがたい教えになったと思う」と。そして「いままで死は他者のものだったが、老い、患い死んでいく母を見ながら、初めて自分の死というものを真剣に考えた。これは、妻も娘たちも昨日の通夜の後に言ったことだった」と。(J)

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