ともいきエッセー

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ともいきエッセー vol.23

「うらやましい死」

先日、本棚を見ていて『神々の国の首都』(講談社学術文庫)という小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の本が目に付き読んだ。以前に購入し、そのまま本棚に納めたままになっていた本の一冊だ。この本の中の「家庭の祭屋(まつりや)」(遠田勝訳)に、かつての日本人のうらやましいほどの死が著されていた。少々長くなるが、読んでほしい。
「・・・日本では私たちの国のように死者をあっさり忘れてしまうことは、けっしてない。彼らの素朴な信仰では、死んだ者は愛する人々のあいだにとどまり、その霊の鎮まり坐(ま)す所は、いつまでも神聖な場所として大切にされる。だから、年老いた家長は臨終を迎えても、これから夜ごと夜ごと可愛らしい唇が、家の祭屋に棲む自分に向かい、何ごとかを囁いてくれるだろうと安らかに思う。この家の忠実(まめ)な者どもは、苦しい時にはきっと自分にすがり、嬉しい時には感謝の言葉を唱えるにちがいない、数多(あまた)の優しい手が、自分の位牌の前に瑞々しい果物や切り花を供え、かつての好物でご馳走をこしらえ、美しく並べてくれるだろう。そして神様やご先祖様の小さなお椀や盃には、客をもてなすための芳しいお茶や琥珀色の御神酒がなみなみと注がれることだろう。この国には今、奇妙な変化が押し寄せている。旧習は滅び、古い信仰は消えようとしている。今日の思想は、明日の時代の思想たりえない。しかし、老人は幸いにも、この古い素朴な美しい出雲で、そうした変化には何一つ気付かずにすんだ。老人はひたすら、ご先祖様同様自分にも、この後いく世にもわたり御灯の火がともされるだろうと信じている。薄れゆく意識の裡で老人が夢見みているのは、まだ見ぬ子孫――自分の子の子の、そのまた子供たちが紅葉のような手で、しゃんしゃんと拍手を打ち鳴らし、精一杯畏まってお辞儀をする可愛い姿だ――そして、その小さお頭(おつむ)の上のうっすらと埃をかぶった位牌には、忘れ得ぬご先祖様となった自分の名が、はっきりと記されているのである」
これこそまさに「ともいき」ではないだろうか。過去のいのちと未来のいのちが繋がり生きている。そこに死に向かうときの安心が生まれている。この書は明治時代の話で、この中にも日本人の信仰にたいする変化が記されているが、今の日本でも、まだまだこうした信仰は受け継がれていると思う。こうした思いで死にたいものだ。(J)

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