ともいきエッセー

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ともいきエッセー vol.33

「途方もない大きな力」

 関東地方は、まだ梅雨明けしていないが、学校も休みに入り、家族で海や山に出かけることも多くなるこの時期、事故には十分気をつけてほしいが、一方で、自然をおおいに味わい感じてほしい。
 昨夏、ベニクラゲの不老不死のことを記した。その中で、赤ちゃんに戻るベニクラゲの記憶はどうなるのか、と。これと同じような疑問がもうひとつある。擬態だ。昆虫や海の生物が捕食のためや捕食者の目をごまかすために周囲の環境にとけこむような色や形に変わる。これが不思議でならない。
 なにが不思議かって、彼らの進化の歴史の中で、彼らは、どのように擬態を完成させたのか、ということである。「こんな姿でいたら食われるだけだ。なんとかしなければ」と擬態の必要性を感じたからといって、ただちに、あるいは次の世代で擬態を身につけたのだろうか。擬態をするには、周囲の環境を認識する能力が必要になる。それに合わせて、どのように変化をすれば捕食者の目をごまかせるかも必要だ。彼らには申し訳ないが、彼らにそんな能力があったのだろうか。なにが彼らをそうさせたのか。
 そしてまた、もし、一代で擬態ができるようにならないで何代もの時間を必要としたら、その何代ものあいだ、彼らの中には「変わらねば」という意思が引き継がれていたのだろうか。体験と願いは次世代に引き継ぐことはできるのか。それは遺伝子と関係があるのか。遺伝子には、生命的な危機があったときに発現する(スイッチが入る)遺伝子があるというが、擬態もはじめから遺伝子に組み込まれていたのか。もしそうなら、進化の過程で変化などせず、はじめから擬態を身につけて出来上がっていればよいものを、と思ってしまう。しかし、そうはなっていない。生存にかかわる何かがあって、はじめて変化が起こる。なぜだ。捕食者も被捕食者も生きるための知恵比べの歴史を見ているようだ。こうしたことに詳しい人がいたら、ぜひ教えていただきたい。
 進化のことを考えると、単なる神などではおさまらない、なにか途方もない、大きな力が働いているとしか考えられなくなってくる。そして人間は、この大きな力を畏怖し、そして謙虚にならなければと思えてくる。いまもこの進化は続いており、人間もこの大きな力の中で生かされていることを忘れてはなるまい。(J)

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