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ともいきエッセー

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vol.73「人間として」、「人間だから」①

 2週に一遍のこのエッセーでも、時として、何をテーマにしようか全く思い浮かばないことがある。今回がそうだ。政治や経済については、言いたいこともあるが、あまり関知はしたくない。ただ人間の歴史や言動にはおおいに興味がある。

 そんなことで、今回は、最近考えている「人間として」、「人間だから」という言葉について、ちょっと記してみたい。

 皆さんは、この2つの言葉をどういう場合に使うだろうか。

 まず「人間として」。「人として」とも使われるが、テレビのワイドショウなどを見ていると、コメンテーターなどが「人間として恥ずかしい」とか、「人間として、してはならないこと」などという言葉をよく使っている。

 この場合の「人間」とは、どういう「人間」なんだろう。

 常に理性的で、ことの善悪をわきまえ、道徳的・倫理的にも間違ったことはしないような「人間」ではないだろうか。暴力事件とか不倫とか、政治家や芸能人の失言・失態など、週刊誌やワイドショウをにぎわす話題で、コメンテーターは「人間として......」と偉そうに言って責める。そうした言葉を聞きながら、小生、この人たちは、人間という生き物をどこまで理解してこんな言葉を発しているのだろうか、と思ってしまう。今日、人間をこんなふうに見る傾向が強くなっているのではないか。ここに「生きにくい時代」「不寛容な時代」と言われる一因もあるように思う。

 一方、「人間だから」は、......。次回につづく。

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