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ともいきエッセー

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vol.75「人間として」、「人間だから」③

 前回、「人間が、その正論で言うように生きてきているだろうか。ここが問題なのだ。正論を解く宗教家や哲学者は、しかし、一方で人間の感情にも言及している。人間は、理性も持っているが感情に左右されやすい生き物でもある」と言った。法然上人も「欲界の散地に生をうくるもの、心あに散乱せざらんや。煩悩具足の凡夫、いかでか妄念をとどむべき、その條は源空もちからおよび候わず」と、この世に生まれた煩悩に満ちた人間が、心を乱したり妄念にとりつかれることには、自分もどうすることもできない、とおっしゃっている。

 その通りだと思う。人間とは愚かな生き物なのだ。世で起きる犯罪などのニュースを見ていても、その犯罪者の心に「なぜ」と思う気持ちが起こるが、まさに人の思い・考えはいろいろだと思わせられる。百人百様である。また、犯罪ではないにしても、ちょっとした感情の行き違いでの争い、不注意や失言・失敗は人間にはつきものだ。そうした出来事に、「人間とはかくあるべし」と、上から目線で責め立てても、「あんたね~」と言いたくなってしまう。

 現代社会の中で、疎外感や孤独感に悩む人々の背景には、伸び伸びとした言動ができないという一種の恐怖感があるのではないか。そうした思いが他者に対しての不寛容を生み、自らを委縮させてしまうのではないか。

 犯罪などは法で裁けばいいが、人間に対してはもっと優しい目をもってほしい。まさに、すべての人に「愚者の自覚を」もってほしい。

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