ともいきエッセー

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vol.85 「宗教心を育む」

 7月6日、平成7年にサリン事件を起こした、オウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)とその幹部6人の死刑が執行された。

 メディアは、23年前のサリン事件がどのようなものだったか解説するとともに、その犯罪や死刑について識者や街の人々からの意見を求め報道した。ここで残念なのは、23年前に事件が起こった時にも感じたことだが、宗教者の意見が出ていないことだ。「宗教団体が起こした事件なのに、なぜ、メディアは宗教者の意見を求めないのだろうか」と、23年前も今回も不思議に思っている。もはや、宗教者の意見など必要としない社会なのだろうか。だったら悲しいことだ。世の行く末が気になる。

 23年も前の事だが、なぜ若者たちはあんな教団に入信したのか。識者たちの意見を読んでみると、一様に、若者たちの生きがいの喪失や疎外感、空虚感、孤立感など、精神文化の拠り所を失った社会であったことを挙げている。そしてこれは現代にも通じている、と。

 では、どうしたらいいのだろう。どうすれば若者たちの生きがいの喪失や疎外感、空虚感孤立感など、精神文化の拠り所を失った社会を改善できるだろう。

 宗教者である私は、こうした問題はまさに宗教者が関わらねばならない問題だと思っている。もっと家庭で、社会で、学校で宗教について話し合うことが必要だと思っている。しかし、戦後の教育基本法で宗派の教えなどを公立学校で教えることを禁止したこともあって、宗教そのものについても教えることが控えられてきた傾向がある。これが宗教への無知を育てて、サリン事件のあとに「宗教はコワイ」などというような言葉を生み出してしまったのではないか。宗派などの教えを教えることは禁止されているが、宗教を教えることは禁止されていないはずだ。

 今も、精神文化の拠り所を失った社会であるなら、迷える若者たちがカルトなどに興味をもってしまうのではないか。もっと、宗教の基本的な教えを宗教者が話し、メディアも宗教を取り上げてほしい。

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