ともいきエッセー

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vol.86 「弔う気持ち」

 昨日、親類の葬儀に参列した。首都圏近郊の山村だが、近年開発が進み人口も増えているという。親類はその地域で古くから農業を営んできた。

 葬儀は、地区にある葬祭業者の会館で行われた。そして葬儀では、その地区の役を務めている人が受付などを手伝っていたが、何よりも驚いたのは、かつての野辺送りのようなことが行われたことだった。

 焼骨が終わり、菩提寺に納骨をするために、参列者が寺の山門前に集まり、地区の役職がもつ鉦(かね)を先頭に、やはり役職が持つ「諸行無常」「生滅滅己」などが書かれた雪山偈(せっせんげ)の幟4本が。そして、骨壺や位牌・遺影を持った遺族、その後に親類・地区の人々が従う行列が組まれた。行列は鉦の音に従って山門をくぐり、本堂前の境内に建てられている角塔婆の周りを右回りで3回周り(右遶三匝=うにょうさんそう)、数百メートル離れた墓地へと向かった。

 納骨が終わり、葬祭業者に「この地区では、いまだにこういう野辺送りのようなことをしているんですか」と訊いた私に、「この地区ではまだ土葬の時の習慣が残っていて、地区の古い家の葬儀は、地区の人たちが協力して行っています。都会では葬儀も簡略化されていますが、私はこういう昔からの習慣のほうが、亡くなった方を弔う気持ちが表れていていいなぁと思いますよ」と。簡略化された葬儀に慣れてしまった私は久しぶりに「弔う」ということを考えさせられた葬儀だった。

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