ともいきエッセー

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vol.94 「住みにくい世だからこそ」

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。夏目漱石の『草枕』の冒頭だ。

 最近年を取ったせいか、この世の中の出来事に不満ばかりが溜まっている。価値観の変化をはじめとして、パソコンやスマホを使いこなすことが当たり前のような生活、寛容性のないイライラした人の心、責任を伴わない言葉......。まったくイヤなことばかりで、自分自身イライラしながら、まさに「人の世は住みにくい」ことを感じている。漱石が生きた明治の時代も今も、人の心や在り方は何も変わっていないのだろう。変わっているのは、身の回りの物だけだ。

 漱石は、冒頭にしめした『草枕』の言葉に続いて、ではどんな国に引っ越すことが住みよいかと問いながら、そんな国はないと言い、次のように続けている。

 「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊にするが故に尊い」

 晩秋から初冬の夜長、芸術や読書に親しみながら、いかにしたらこの世を住みやすくなるか考えてみたい。

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