ともいきエッセー

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vol.103 「期待されている寺院の活動」

 先日、車で信号待ちをしているとき、斜め前にドームの屋根をした立派な建物が見え、よく見ると新興宗教の看板があった。「新興宗教はお金があるんだなぁ、きっと寄付がたくさん集まるんだろう」と思いながら、〝どうしてか″と考えた。

 私の勝手な思い込みかもしれないが、寄付が集まるということは、寄付をする信徒がそれぞれの寄付額に納得しているからできることだ。では、何に納得しているのか。それは教え以外にはないだろう。では、どんな教えか。きっと、今を生きる悩みや苦痛を解決してくれる教えではないか。

 そんなことなら、既成の仏教教団でもしているではないか、と思いながら、平成7年にサリン事件を起こしたオウム真理教の青年信者の言葉を思い出した。「寺院は風景にすぎなかった」というようなことを言っていた。寺院は迷える若者に、今を生きる教えを説いている場所とは見えていなかったのだ。過去の遺物と思われていたのか。そして、それが今日まで続いているのか。葬儀などの儀式による収入に安穏として、この混迷した世の中をいかに生きるかを説いてこなかったように見えていたからか。

 いや、そんなことはない。多くの寺院は様々な行事や活動を行い、いのちについて、生き方について説いてきている。近年では社会福祉活動も盛んに行っている。問題は、それが社会に見えていなかったことだろう。今風に言えばコマーシャル不足だ。

しかし、今日、寺院の社会貢献が社会から期待されている。これは、多くの寺院が行っている行事や活動が社会から認められてきたからこその期待だろう。そう思いたい。

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