ともいきエッセー

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vol.107 「敷居、まだまだ高い」

 「寺院の敷居が高くて入りにくい」とは、よく言われることだ。

 先日、京都に行って、またそれを感じた。たまたま通りかかった寺院の入り口がチェーンで入れないようになっていた。「なんだこれ、入ってくるなってことか。ずいぶん失礼なお寺だね」と思った。住職や住む人がいないお寺かもしれない、とも思ったが、そのとき、数十年前に京都の寺町を歩いていたときの記憶が蘇った。お寺の山門は開いているのだが、そこに木製の柵(結界)のようなものが立っていて、まるで〝中に入ってくるな″というように感じたのだった。入るには山門に付随している脇の通用門から入ることになるが、これも扉が閉まっているから、お寺に関係のない人が入っていいものか迷ってしまう。

 「開けっ放しにしておくと、どんな人が境内に入ってくるかわからないから......」と寺院住職から聞いたことがある。たしかにそういうこともあるだろう。お墓を荒らされたり、賽銭泥棒もいる。火でもつけられたら大変だ。

 しかし、しかしである。境内の静けさを感じたり、手入れの行き届いた庭などを見たり、お寺の歴史を知りたいと思う人も大勢いる。山門が開いていれば、寺院に興味のある人がフラリと入ってこれるのだ。そこで住職と出会い、宗教の話などができればなおいい。あの柵はこういう人をも拒否している。

 近年、寺院の地域貢献が言われ、まちに開かれた寺院が期待されている。そして、まず寺院の敷居を低くし、地域のために活動をしている僧侶も増えてきた。

 もし柵を置くことを、これまでの慣習と思い、柵を置くことに何の違和感を感じていないのなら、その柵があることを人々がどう感じているかぜひ考えていただきい。

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