ともいきエッセー

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vol 135 「日本人って?」

 ここ数日のコロナウイルス感染に関わるニュース番組で、その政府の初期対応やPCR検査の普及の遅れなどについての原因究明がされている。専門家やコメンテーターがあれこれ意見を述べているが、その話を聞きながら、ふと昔読んだ『失敗の本質』という本のことを思い出した。もしや処分してしまったか、と思いながら書棚のあちこちを探して見つけ出した。奥付を見ると1991年8月発行となっている。もう、30年も昔のことだ。

 カバー裏に、「大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織一般にとっての教訓あるいは反面教師として活用することをねらいとした本書は、学際的な協同作業による、戦史の初の社会科学的分析である。」と書かれていた。中のページをパラパラと繰ると、そこいらじゅうに線が引かれていた。そのいくつかを紹介する。

 「人間関係や組織内融和の重視は、・・・組織の合理性・効率性を歪める結果となってしまった」、「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する。それは軍隊という大規模組織を明確な方向性を欠いたまま指揮し、行動させることになるからである。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった」、「作戦目的の多義性、不明確性を生む最大の要因は、個々の作戦を有機的に結合し、戦争全体をできるだけ有利なうちに終結させるグランド・デザインが欠如していたことにあることはいうまでもないであろう。その結果、日本軍の戦略目的は相対的に見てあいまいになった。この点で、日本軍の失敗の過程は、主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスであった」、「日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった」、「日本軍は結果よりもプロセスを評価した」、「個人責任の不明確さは、評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、論理よりも声の大きな者の突出を許容した。このような志向が、作戦結果の客観的評価・蓄積を制約し、官僚制組織における下克上を許容していったのである」

 まだまだたくさんあるが、これらの指摘を見ていて現在の日本を見ると、政府ばかりではなく、さまざまな組織も旧日本軍とさして変わっていないようにも思える。現在のコロナ禍に対する政府やそれに関わる支援政策にもこうした面を感じる。しかし、こうした面が、良い悪いは別にして、日本人なのでは、と思ってしまうところもある。日本人って何なんだろう。そして、なぜこの本を突然思い出したのだろう。

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