ともいきエッセー

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vol 144 「清廉とは」

 今、テレビなどのニュースで、広島選出の国会議員が夫人の選挙立候補に対し、同地の市会議員らに対して金銭を配ったかどうかが取り上げられ、世間を騒がせている。そして、検察の調べに対して、同地の市会議員らが、「私は、お金を受け取った」と雨後の筍のように名乗り出てきた。

 こうした一連のニュースを見ていて「なんということだ、こいつら何を考えているんだ」と何度も思ってしまった。こんなことが今でも行われているとは驚きだった。これが市民や県民を代表する人たちなのか、と。そして金銭を配った人は、国民の代表だ。当の昔に議員への信頼は無くしているが、こういう人を当選させてしまう市民も市民だ。これは今回だけにいえることではない。昔からどこにでも見られたことだ。「政治家は国民の写し鏡だ」という言葉を若い時に聞いたようなきがする。

 しかし、今回の一連のニュースを見ていて、何よりも腹の立つことは、検察の調べが進み自分が金銭を受け取ったことがバレそうになったから、「私ももらった」と名乗り出る神経だ。それは、バレなかったらずっと黙り続けているということではないか。こうしたことを彼らはどう思っているんだろう。頭の中を見てみたい。

 前回、「今だけ、金だけ、自分だけ」という東京大学の鈴木宣弘教授の言葉を紹介したが、この事件は、まさにこの言葉にあてはまるような現代の人間の姿を見せてくれていると思う。

 「清廉」という言葉がある。広辞苑には「心が清くて私欲がないこと」とでている。わが身のこととして気を付けたい。 

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