ともいきエッセー

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vol 149「迷惑」

 困っている人を見たら、手を差し伸べてあげる、「それは当たり前のことだ」と教えられてきた。祖父母から、そして両親から何度言われたか分からない。「迷惑はかけられるのが当たり前、かけるのも当たり前」とも教わった。色々な人が暮らすこの社会では、思わず迷惑をかけてしまうこともあれば、かけられてしまうこともある。

 「人の迷惑にはなりたくない」とは、以前から人々の中にあった考え方だと思う。それが人に節度や遠慮、思いやりを生み出してきたと思う。そんなこと、言わなくても分かっていることだった。でも、最近では、こんな当たり前のことが当たり前ではなくなっているらしい。

 「子どもに迷惑をかけたくないから、お葬式の費用くらい貯めておかないと」という高齢者が増えている。テレビなどで保険会社の広告を見ることも多くなった。しかし、子どもにとって、親の葬儀費用を支払うことが迷惑になるのだろうか。両親の葬儀を出した僕は、少しも迷惑だなんて思ったことはない。それよりも父や母にここまで育ててもらった恩返しも満足に出来なかったことを悔やむ方が多い。それに、両親それぞれの葬儀をして少しは大人になれたとも思う。

 今の人は、このエッセーの143で書いた「今だけ、金だけ、自分だけ」の世の中にどっぷりつかっていて、他者の気持ちを想うことから逃げているのではないかと思えてならない。他者がどうなっても、自分に迷惑がかからなければ関係ない、みたいに。

 極端なことは論外だが、「迷惑をかけられる、かける」があって、人は成長できると思う。どう解決しようかといろいろ考えるからだ。それが出来て、はじめて「ともに生きる」社会が実現できるのではないか。

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