ともいきエッセー

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vol 151「会話を楽しむには教養」

 近年、一人でいることを楽しむ風潮がある。一人でいる方が他者に気を付かわなくていい、と趣味などに自分の時間を費やす人が増えている。孤立、孤食、そして無縁社会という言葉も生まれた。今は、これに加えてコロナ感染予防のために人との距離を取ることが勧められている。人はますます孤立することになる。

 このコロナ禍ではやむを得ないことなのかもしれない。しかし、人間は他者と会い、会話を通して情報を得、他者が考えていることを理解し、人間社会を進化させてきた。「現代はコンピューター、スマホなどで他者と会話もでき、情報を得られるからいいじゃないか」という人もいる。それも一理あると思う。

 でも、人間同士が直接会って話をすることと、機械の中で会うことは同じことなのだろうか。話している時の細かい表情や、また、話の内容から相手がどんなことを望んでいるか読み取ることができるだろうか。特に、機械を使っての話しは要件が重視され、無駄話が出来ないことが多い。テレワークを始めたある会社が、テレワークの中で、無駄話の時間を取り入れたという話を聞いた。合理性、効率ばかりの中では人間は生きられないのだ。

 会って話すことには、この無駄話が重要になる。初めて会う人でも、職種や経歴、そして年齢の違いなどを超えて、どのようなことを話し、その場を楽しくしながら相手を理解していく。生涯の友になることだってある。

 これに必要なのは幅広い知識だ。相手がどのようなことに関心があるのかを探りながら、相手を話に引き込む。決して無駄話ではないと思う。相手もそのようにしながらこちらの関心事を探り、会話を盛り上げようとしているに違いない。最近聞かなくなったが、このような幅広い知識は教養と言われていた。

 現在のコロナ禍のもと、人と会うことが難しい時、読書などをしながら自分の教養を深めたい。そしてコロナ禍が終息したら、友人・知人、色々な人と会って会話を楽しみたい。

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