ともいきエッセー

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vol 154「コロナ禍、現代を考える時かも」

 コロナ禍で自粛中から考えていることがある。
 それは、現代という時代は、どんな時代か、ということ。
 新型コロナウイルスによる感染が広まったころ、ニュースでは、毎日のようにその日の感染者数や死亡者数、それも日本ばかりではなくヨーロッパやアメリカの状態までが詳しく報道されていた。そして、このウイルスが日本をはじめ世界の国々に与える影響について各界の識者がさまざまな発言をしていた。この中で一致していたのは、経済に与える影響である。自粛や都市封鎖で経済界は、個人事業主から大企業に至るまで大打撃を受けるだろうと。
 はじめ、経済界はそんなに弱いのだろうかと思っていた。1年や2年は乗り越える貯えくらいはあるだろうと。しかし、時が経つとともに、リストラに始まり、廃業や倒産する企業が続出してきた。ちょっとした驚きだった。
 そこで考えた。今という時代は、長い歴史の上に成り立っていることはもちろんだが、その歴史の中で、人間は何を求めて生きてきたのだろうか、と。特に産業革命を機として、われわれ人類は、生活の隅々にまで便利・効率・スピードを掲げ、湧き出る欲望の実現へ向けて突っ走って来たように思う。そして、こうした考え方を善として、まるで止まることが悪であるかのように、便利・効率・スピードを金科玉条のごとく追い求め、また追いかけられて生きている。これが近代から始まった現代という時代ではないか。
 ここにコロナウイルスが現れた。一時的なのかもしれないが、ウイルスはこれらにストップをかけた。そして、人々は、このコロナ禍後の世界がどのようになるか、予想ができないことに不安を感じている。もしかしたら、このコロナ禍が時代の転換点になるかもしれない。そんなことも考えてしまう。コロナ後を考えるとき、はたして便利・効率・スピードを追い求める現代の生き方がいいのかどうか、私たちは、日々の暮らしに何を求め、どんな暮らしを求めているのか。ぜひ考えていただきたい。

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