ともいきエッセー

一覧へ

vol 157「利他の精神」

 先日の午前、NHKのBS放送でブータンの祭りを見ていた妻が、その放映の最後の方で、チベットの人々が五体投地をしながら聖地へ向かう様子が映し出されていた。アナウンサーが、「この人々は、生きとし生ける人々の幸せを願って五体投地をしている」と説明していた。五体投地とは、身体の全部を大地に投げ出して仏を讃え、願い祈りをする礼拝作法だ。チベットの人々の五体投地は数歩進むごとに、大地に身体を投げ出す。

 これを見ていた妻が、「これよ、これなのよ。これこそ利他の精神じゃない?」と感動しながら言った。そして、「今の日本人は、宝くじが当たると言われる神社とか、自分の願い事が叶うような損得なお願いばかり。もっと、このチベットの人たちみたいなお願いができないのかな。ねぇ、これが利他の精神って言うんでしょ」と付け加えた。僕は、「そうだよ」と答えながら、何を今さらこのようなことに感動しているんだろう、そんなこと解りきったことではないか、と思ってしまった。もちろんチベットの人々も家族の幸せや無病息災なども願うだろう。そんな話も聞いたことがある。
 しかし、妻が感動したことは「生きとし生ける人々の幸せを願う」ということだ。日本人だって、神社仏閣へ行った時には、世界平和や家族の幸せ、無病息災くらい神さま仏さまに祈り願っているだろう。では、なぜ妻はそのことに感動したのだろう。近年、ニュースやワイドショーなどで報じられている、あまりにも身勝手な人々の犯罪や非道徳な日本人の姿を見ているからだろう。「生きとし生ける人々の幸せ」願っていたら、身勝手な犯罪や非道徳なことは出来ないだろう。それはつまり、今、多くの日本人は「自分だけ」のことを考え、思っているのではないか、という妻の直感だったのではないか。
 これまで、このエッセーで何度も書いていることだが、「ともいき」の原点は、すべての他者を思いやる「利他の精神」を持つことだろう。それが出来ていないことが現代日本の大きな問題ではないだろうか。

  • 助成金
  • ともいき財団Twitter
  • 浄土宝暦
  • 活動レポート
  • ともいきエッセー

このページのトップへ