ともいきエッセー

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vol159「日本人の気質」

 「この国の人はいつの時代も、面白いものを作ったり、探したりして過ごしてきた。ものを見て心を楽しませることは、赤ん坊が好奇心に満ちた目を見開いて生まれたときから、日本人の人生の目的であるようだ。その顔にも、辛抱強くなにかを期待しているような、なんともいえない表情が浮かんでいる。なにか面白いものを待ち受けている雰囲気が、顔からにじみ出ている。もし面白いものが現れてこないなら、それを見つける旅に、自分の方から出かけてゆくのである」
 これは、角川文庫発行『新編 日本の面影』に所収されているラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「神々の国の首都」に収められている一節だ。訳は池田雅之氏。
 ハーンの著作については、これまでに1・2度、この欄で引用したことがある。明治23年に来日、当時の日本に関する多くの著作を残している。抒情的な文章で、当時の人々の暮らしぶりや日本人観などが描かれている。読んでいて「明治の人は、こんなことを思い、こんな暮らしをいていたのか」なんて、現代の時に追われて暮らす日々にうんざりしている僕には、心の癒しになり、時々書架から引き出して読んでいる。
 昨夜、床に入ってもなかなか眠れなかったので、上記の本を読み始めた。本には所々に折り目が入れてある。読んだ時に面白いと思った箇所を忘れないようにするためだが、パラパラとページをめくっていたら、上記引用の一節が目にとまった。「なーんだ、じゃ、しようがないよな」と変に納得してしまった。
 なにに納得したのかと言えば、現在問題になっている「Go Toトラベル」で、多くの人が旅行に出かけ、これがコロナウイルスの感染につながっているのではないか、と医学界などからの提言がなされている。旅行なんて少し我慢をすればいいじゃないか、と思っていたが、どうやら面白いものを探しに旅に出るのは日本人の気質になっているようだ。
 しかし、いくら気質だからといって、自由に旅に出ていいというものでもない。感染を広めないためにも我慢と節度が必要だ。我慢強い、節度を守れる、ということも日本人の良き気質と言われているのだから。

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