ともいきエッセー

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vol 164「迷惑はかけかけられるもの」

 最近、テレビを見ていて気が付いたことがある。それは葬祭業者や死亡保険などのコマーシャルが増えていることだ。葬祭業者も保険会社も「子どもたちに迷惑はかけたくない」といったようなことを喧伝し、さもそれが正しいことのように表現されている。収益をあげることが目的の企業のコマーシャルだから、そんなことにケチをつけたって仕様がないことは分かっているのだが、見ていると腹が立ってくる。こうしたコマーシャルには決定的に欠けていることがある。それは残された遺族をはじめとした友人や知人たちの気持ちだ。先立たれた人への愛や尊敬や友情への思いだ。コマーシャルでは、こうしたことが無視され、金銭的な安さだけが強調されている。コマーシャルの制作者は何を考えているのだろう? 
 こんな調査結果がある。自分自身の葬儀の希望について、「家族や親族だけで行う葬儀」が57%、「友人やお世話になった人も参列できる一般的な葬儀」が17%、「直葬でよい」22%〈2018、(株)冠婚葬祭総合研究所)〉で、家族葬と答えた人の割合が高い。しかし、友人の葬儀については、「一般的な葬儀をやってもらい、自分も参列したい」と答えた人は59・9%。亡くなる本人と見送る人の意識には大きな違いがある。自分の葬儀と友人の葬儀、矛盾しているといえるが、これが現代日本人の葬儀に対する本心なのかもしれない。いや、これだけではなく、近年、遺族によっては葬儀を執り行うということに対する煩わしさという面も見えてきている。家族関係がそのまま葬儀に表れてきているのだ。
 自分の葬儀は、残される人への負担を軽くしてやりたいという心、優しく遺族思いの心だと思うが、はたして、それは本当に遺族のことを思ってのことだろうか。両親の葬儀をだした長男としての僕は、自分に出来る精一杯のことをしたつもりではあるが、少しも迷惑をかけられたとは思っていない。
 華美な葬儀を勧めるのではない、遺族として出来るかぎりのことをしてほしいのだ。はじめから家族だけとか迷惑をかけるだなどと言ってほしくない。人は、生きていれば迷惑をかけもすればかけられもする。当たり前のことだ。それを自己責任と結び付け、自分のことは自分で責任をもって処理しろというような風潮を作り出してはいないか。それは助け合いを拒否することではないか。

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