ともいきエッセー

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Vol 169 「電話番、出来れば一人前」

 いつも、この「ともいきエッセー」に何を書こうかと、日々のニュース番組や出来事に気を配っているが、ニュース番組はコロナ関係ばかり。いい加減うんざりしてきて、考える気も起きなくなった。この欄で何度も書いている『失敗の本質』に見る日本人の思考を思わざるを得ない。

 そんな中で、先日、新入社員が初めての仕事に電話番をさせられることに否定的だというニュースがあった。他の社員がどんな仕事をしているか分からない者に、電話番をさせたって意味がない、電話をとって他の職員に訊いたりすることが面倒だ、知らない人と話すのがイヤだ、電話の出方も話し方も教えられていない、などといろいろ否定的な意見が挙げられていた。聞いていると〝なるほど″と思えるような意見だった。しかし、すぐに〝それは違うよ″という思いと同時に「バカ、なに甘ったれたこと言ってんの」という怒りが湧きあがった。

 僕も数十年前の新入社員の時には電話番のようなことをしていた。新入社員といっても、その時に入社したのは僕一人、電話番は当然なことだと思っていた。電話が鳴るたびにドキとしながら電話を取り、内容にアタフタしながら担当者に回していた。そんなことをしていたある日、二人の来客と話しをしていた時に電話が鳴った。いつものように反射的に電話を取った。この様子を見ていた来客の一人が「なんだ、まだ電話番をしているのか」と言った。それを聞いたもう一人の来客が、「いや、電話番ができるようになったら一人前だよ。他の人の仕事が分かっていることになるんだから。早く誰がどんな仕事をしているか覚えちゃいな」と言ってくれた。

 たしかにその通りだと思った。それからの僕は、ひそかに20数人いた職員の名前のリストを作り、そこに仕事の内容と電話がかかってくる相手の名前を記すようにした。1ヶ月もしないでみんなの仕事の内容が分かることができた。そればかりではなく、かかってくる電話の相手に「アッ、だれだれさんですね」と言いながら、ちょっとした世間話ができるようになり、その相手が事務所に来た時など、気軽に話が出来るようにもなった。

 事程左様に、単に電話番をその時だけの合理的な考えで否定するのではなく、それが時間的な流れの中でどのように作用するかを考えてほしいと思う。イヤ、これは電話番だけのことではなく、他のさまざまな仕事や生活の中の出来事にも言えるのではないか。今は、あらゆることにその場しのぎ的になってはいないか。

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