ともいきエッセー

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vol 172 『「花が見頃」のニュースに思う。』

 「いま、○○で何々の花が見頃です」というニュースが、テレビのニュース番組のなかで流れる。春先から初夏にかけては、こうした報道が増える。先日、ニュースを見ていた妻が「○○で紫陽花が見頃だって。行ってみようか」と言ってきた。「バカ、なに言ってるの。いま尾身会長が人流を減らすことがコロナの感染を抑えることで一番大切だと言っていたのを聞いてなかったの?」と僕。植物にあまり関心のない僕には、進んで花を見に行きたいとは思わない。花が見頃だという報道の直前に出ていた政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長の言葉を引用して、花を見に行こうという妻の希望を断った。
 ここでちょっと考えた。「花が見頃」だと報道すれば、見に行きたいと思うのが人情だ。しかし、このコロナ感染を抑えることで頭を悩ませている政府や学界の専門家からすれば、人出を煽るような報道をどう受け取っているだろう。そんなところまで気にしていないのかもしれない、また、報道する側も、単に花が見頃だと言っているだけで、「見に行きましょう」と言ってはいないと言うだろう。特に最近は、緊急事態宣言中であるにもかかわらず、各地で人流が増えているとも報道されている。ましてや、昨年から言われている「不要不急の外出は控えてください」という提言が取り消されたという話は聞いていない。
 「花が見頃」というニュースに引っかかってしまった僕が考えすぎなのかもしれない。どうでもいい、つまらないことだとも思う。しかし、そのニュースに乗せられて、花を見に行く人も、妻ではないがいるだろう。せめて「花が見頃」と報道した後で、「いまは見に行くことも出来ませんから、せめて画面でお楽しみください」くらい言ってもらえれば、僕の引っかかりもなかっただろうと思う。
 この欄で何度も書いていることだが、世の中の出来事は、ひとつ一つのことが別々に独立して起こっているのではなく、すべてがどこかで繋がり起こっている。まさに縁起なのだ。どうでもいい、つまらないことでも、それがどこかで何かを発生させているのかもしれないということを、考えてほしい。特に、一つの言葉の受け取り方も、聞き手で良くも悪くも解釈されることも多い。人と人が言葉の中で生きているこの世界にあっては、共に生きていくうえでも大切なことだと思う。

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