vol223 「利他のこころ」、「利己のこころ」(17)
人類の進化は、まだ途上だと思う。大脳皮質の拡大・発達に伴い、共感能力や思いやりのこころが生まれた。そして2千数百年前には中国で仁や義を説く儒教が、インドでは釈迦が慈悲を説く仏教を、ギリシャではソクラテス・プラトン・アリストテレスらが西洋哲学の基礎となる倫理学や政治学を、そしてまた、2千年前にはキリストが愛を唱えるなど、それまでの争いに満ちた社会を人々が平和で安心して暮らせる教えを説いた。これらは人々のこころに倫理観や道徳心を起こさせ「利他のこころ」を発達させてきた。しかし、考えてみれば、これらの教えは約30万年前に現生人類が登場してからほんの一瞬の期間だ。人類が平和で安心して暮らせる日々のためには、もっと時間が必要なのかもしれない。悲しいことだが、そのような世界は未だ途上と思ったほうがいいのかもしれない。
しかし、平和で安心して暮らせる世界の実現のためには、人間の脳内にある生得的な「自分だけ」という「利己心」を減少させていくことが必要だ。そしてこれに欠かせないのが、前回記した「無財の七施」の教えではないだろうか。イスラム教にもキリスト教にも似た教えがたくさんある。どれも他者を想う「利他のこころ」だ。世のすべての人々の頭の中がこうした想いで満たされれば、国益ばかりを考える指導者も変わらざるを得なくなってくるだろう。そして世界の貧富の格差も無くなってくるだろう。しかし、ここには現在の先進国といわれる国々の生活水準を落とす覚悟も必要だ。そして、何よりも大切なのは、人間にとって何が「幸せ」なのかを考え直すことではないか。経済発展して自分やその国民だけが裕福に暮らせることが幸せなのか。そこには争いが絶えないだろう。それとも、世界のすべての国や人々が争いがなく安心して暮らせる思いやりに満ちた暮らしが出来ることが幸せなのか。これには国家や国境も必要が無くなるだろう。どちらがいいかだ。
人類はもっと未来のことを考える必要があるのではないか。世の知識人には、国家だとか民族だとか、また宗教の違いなどを示しながら現状を解説する前に、私たちひとり一人の人間が他者を思いやれるようになるために必要なことは何か、何が間違っているかを説いてほしい。そのために過去の偉人たちが平和や人々が安心して暮らせるために、どのようなことを言ってきたかを今一度見直し、そして新たな考え方を示してほしい。そしてまた、人間の持っている欲望を肯定していても、明るい未来はないだろう。人のためになる欲望を育て、ためにならない個人的な欲望を抑制するにはどうすればいいかも研究してほしい。
長々と「利他のこころ」、利己のこころ」について述べてきたが、思い返してみれば、これは人間のこころの問題で、欲望をはじめとした人間活動のあらゆる面と繋がっていることだと痛感させられた。しかしまた同時に、そこにはこのどうしようもない人間たちの行いをもっと善くしようとした人間もたくさんいた。今後の世界においてもこうした人間の登場を期待してこの項を閉じたいと思う。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
